Friday, September 30, 2011

フランク・ランパードが追求する新たなプレースタイル

途中交代やベンチスタートとなる度にメディアでも高まる感のあるランパード限界説。一方で、役割の変更を勧めたり、その最中だと主張する意見も出てき始めている。BBCのサイモン・オースティン記者がクラウディオ・ラニエリやパット・ネヴィンの言葉を引きつつ描くコラム。


++(以下、要訳)++

ここ10年間、フランク・ランパードの名前はチェルシーの先発メンバー表に消せないインクで書かれているかのようであったが、その地位も怪しいものになってきた。マンチェスター・ユナイテッド戦はハーフタイムで交代、スウォンジー戦は起用されず、得点もここまでPKによる1点のみ。ランパードはもはやスタンフォード・ブリッジのキープレーヤーには見えない。

彼の立場は代表チームにおいても同様に不安定ものになっている。今月初めのブルガリア戦はベンチスタートとなったが、これは彼が出場可能な真剣勝負の場では、ここ4年で初めてのことだった。2,350万ポンドでやってきたフアン・マタがチェルシーの中盤に光明をもたらしている今、33歳にしてランパードはメンバー表から姿を消してしまうのだろうか?

こうした論調は、2001年6月にランパードをウェストハムからチェルシーに連れてきたクラウディオ・ラニエリを苛立たせる。「私を信じて欲しい、彼は今でも素晴らしい選手だ」先週インター・ミランの監督の座に就いたイタリア人は語る。「パス、シュート、リーダーシップに知性。これら全てが彼を世界一流のミッドフィルダーにしてきた」

ラニエリは10年前、チェルシーに1,100万ポンドを支払うよう説得した。この移籍金は何度となく嘲笑の対象となったが、最高の掘り出し物であったことが分かった。ランパードはその後、クラブが最も成功した10年間のリーグ戦で116ゴールを記録した。そしてラニエリは、年齢がランパードの能力に与える影響などないと主張する。

「スピードがフランクの売りであったことなど一度もないし、常に厳しいトレーニングで最高のコンディションを保っている。監督はトレーニングの場に彼のような選手がいることを夢見る。他の選手たちの真のお手本になるからね。彼が30代の半ば、後半にさしかかろうが、トップレベルでプレーできないなどと考える理由が分からない」

しかしながら、これを実現するにはランパードは彼の流儀を変える必要があるだろう。そしてそのプロセスは既に進行中のようだ。

今シーズンのデータを一見すると、ランパードは下降線を辿り始めている、とも考えられるだろう。ゴールはノーリッジ戦のひとつだけ、1試合あたりのシュート数は2009-10シーズンの3分の1にも満たない。シュートの精度も際立って下がっているのが見て取れる。昨シーズンはシュートの56%が枠を捕えたのに対し、今シーズンはここまでわずかに25%だ。

しかし、80年代にチェルシーのプレーヤー・オブ・ザ・イヤーに2度輝き、BBCで解説者を務めるパット・ネヴィンは、この数字はむしろランパードのプレースタイルの変化の結果だ、と述べている。

グッバイ、ゴールを量産するミッドフィルダー。ハロー、中盤深くに位置するプレーメーカー。

「フランクはいま、中盤の引いた位置でボールを保持して正確なパスで攻撃をビルドアップしていて、必ずしもフィニッシュまで持って行ってはいない。人々は彼のプレースタイルに対する先入観を捨て去る必要があると思う」

下のグラフもネヴィンの理論を支持するものとなっている。左のグラフの中の8番は、1-3で敗れたマンチェスター・ユナイテッド戦でのランパードの平均ポジションを示している。彼は16番のラウル・メイレレシュと共に中盤を締めるポジションにいて、10番のフアン・マタや7番のラミレスと比較すると深いポジショニングになっている。


後半にチェルシーは追い上げを図り、ランパードは監督のヴィラス・ボアスによって交代させられた。マタのポジションは一層上がって9番のフェルナンド・トーレスに近づき、2人の後ろで39番のアネルカが動く形だ(右のグラフ)。ネヴィンは、チェルシーの中盤の攻撃的なアタッカーとしてランパードが果たしてきた役割は、完全にマタが取って代わったと見ている。

「トーレスとプレーするようになれば、ドログバがメイン・ストライカーの頃に使っていたロングボールは不要になる。トーレスの角度をつけた裏への走りは彼が加入した頃から素晴らしいかったが、彼に糸引くパスが出て来るようになったのはマタがやってきて以降のことだ。それはフランクの役割ではなかったし、いま彼は新しいポジションを見つけるために進化する必要に迫られている。新しいプレースタイルでね」

ゴールを量産していたランパードは、ポール・スコールズがマンチェスター・ユナイテッドでのキャリア終盤にそうしたように、中盤深めのミッドフィルダーとしての自分を再発見するだろうか?

ネヴィンはそう信じていて、「ヴィラス・ボアスは4-2-3-1を好んでいるように見えるし、フランクにはその"2"の一角を占めるための戦術的な知性、視野、パス能力とタックルがある」と主張する。

偶然にも、これは最近ファビオ・カペッロがイングランド代表で好んでいるシステムでもある。

ランパードは「フットボールの世界で、批評家が誤っていたことを証明することほど気持ちの良いことはない」と言ってきた。恐らく彼は、クラブと代表の双方でその快感を楽しむ時を迎えようとしているのだろう。

Wednesday, September 28, 2011

意外な万能プレーヤー特集

今回は小ネタ。
ディミタール・ベルバトフがセンターバックでプレーする姿。スカイスポーツがたまにやってる「何でもランキング」的なコーナーはこれを見逃さず、「万能プレーヤー」を特集。


++(以下、要訳)++

ディミタール・ベルバトフは、カーリングカップのリーズとの一戦で、ディフェンスにできた穴を埋める活躍を見せ、慣れたポジションとは別の役割を託された選手の長いリストに加わった。

ディミタール・ベルバトフ
試合中にゆっくり歩き回る姿がしばしば批判の対象になるが、ベルバトフの落ち着き払った雰囲気はセンターバックに相応しいものだろう。そして本人もまたリーズ戦の終盤に4バックの一角に入った時には、実に嬉しそうにプレーをしていた。彼が後のキャリアで謎めいたフロントマンからボール扱いに秀でた守備のまとめ役になるかどうかは、まだ定かではないが。

デイビッド・ジェームス
2004-05シーズンの最終節ミドルスブラ戦、マンチェスター・シティはヨーロッパの舞台に立つためにゴールを必要としていた。監督のスチュワート・ピアースは、ストライカーを投入するのではなく、ゴールキーパーのジェームスを前線に上げた。せわしない攻撃と脅威を与えない粗いシュートが繰り出されたが、結果には結びつかなかった。シティは目的を達することなく1-1のドローで試合を終え、ジェームスも通常の役回りに戻っていった。

クリス・サンバ
2008-09シーズンの終盤、ブラックバーンの監督だったサム・アラーダイスは闘志溢れるセンターバックのサンバをストライカーとして起用した。南アフリカ代表のベニー・マッカーシーはベンチに残されたままであった。しかし、サンバの屈強なフィジカルが相手ディフェンダーの手を焼かせるのを見れば、なぜこのコンゴ人にこのような役割が任されたのかは簡単に理解できた。

クリス・サットン
1994-95シーズンに「SAS」と呼ばれたアラン・シアラーとのコンビでプレミアリーグを制した得点力を持つサットンは、ディフェンダーとしても「使える」というレベルを遥かに超えており、それはノーリッジ時代に幾度となく証明された。しばしばセンターバックとして起用され、ストライカーとしての経験から相手フォワードの次の動きを予測できるという強みは、非常に価値があるものだと証明した。

ハヴィエル・マスチェラーノ
生真面目なタイプのミッドフィルダーは、ディフェンスでの貢献を求められる際にあまり苦労しないが、マスチェラーノのレベルであるとなお簡単に見える。このアルゼンチン人は昨季ペップ・グアルディオラが抱えていたディフェンス面での頭痛を何度となく解決し、マンチェスター・ユナイテッドを下して頂点に立った昨季のチャンピオンズリーグ決勝でもポジションはセンターバックだった。

アントニオ・ヴァレンシア
ヴァレンシアはクラッシックなタイプの右ウィングとして名を馳せ、マンチェスター・ユナイテッドもウィガンから彼をスパイクをチョークまみれにする選手として引き抜いた。しかし、いま彼は右サイドバックとしての能力を証明しつつあり、オールド・トラフォードでのポジション争いが激化し、アレックス・ファーガソンがナニやアシュリー・ヤングを選ばれがちな現在、この位置で運を試す可能性もあるだろう。

マイケル・エッシェン
中盤の真ん中で一流の動きをするエッシェンは、2007年にディフェンスに空いた穴を埋めるよう頼まれた。ジョン・テリーと並んで熟練の安心感をもたらすと、そこからの9試合を2敗で乗り切った。ジョゼ・モウリーニョは試合の中での洞察力に優れた戦術家として名を馳せたが、スタンフォード・ブリッジ時代のこのエッシェンをディフェンス・ラインに下げるという判断は見事なものであった。

スティーブン・ジェラード
ジェラードのような才能を持つ選手を右サイドバックに貼り付けるのは浪費だと考えられるだろうが、時にその必要もある。2005年のチャンピオンズリーグ決勝、リバプールの守り神でもあるジェラードは、PK戦の末に勝利を掴むその道のりを綱渡りする中でディフェンス・ラインに加わった。ACミランの攻撃が劇的な決勝弾を決めるべく暴れまわる中、リバプールの両翼はギシギシと軋みの悲鳴を上げていた。ここを何とか凌いでゴールを割らせなかったジェラードがトロフィーを揚げることとなった。

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割と最近の例を集めた感じだから、「あったなー」って感じる例ばっかだけど、集めてみると面白い。

Tuesday, September 27, 2011

「持たざる者」デイビッド・モイーズの手腕とエヴァートンの懸念

開幕前に取り上げたエヴァートンの記事は、"財政難にもめげずに頑張るエヴァートン"のようなトーンのものだったが、今回のコラムは元アーセナルでBBCの「Match of the Day」で分かりやすい解説をしているリー・ディクソンによるもので、モイーズ監督の手腕を評価しつつ、明らかになる懸念も指摘。


++(以下、要訳)++

週末、エティアド・スタジアムでの正午キックオフとなるこの対戦ほどフットボールにおける「持つ者」と「持たざる者」を描き出せるものもないだろう - ロベルト・マンチーニはすべてを持ち、デイビッド・モイーズはそれを持たない。

マンチーニは、最も高価なメンバーからいかに最大限の力を引き出すかに頭を悩ませる一方で、モイーズは自身が積み重ねてきたエヴァートンの素晴らしい歴史を守るチームを作るために倹約・節約を重ねなければならない。

ベスト・プレーヤーであったミケル・アルテタが移籍締切日にチームを去って以降の悲しみと陰鬱を考えれば、現在エヴァートンが7位につけ、初戦でQPRに敗れて以降無敗であることは驚きですらある。いや、驚くべきではないのかもしれない。昨季のエヴァートンの順位は7位であった。

これだけの財政難を抱えながらモイーズが成し遂げていることには敬意を払う必要がある。彼がチームを組織して到達しているレベル -昨季7位、それ以前も8位、5位、5位、6位- は、人々の期待を遥かに上回る。手品で帽子からウサギが出てくるようなものだ。

選手が怪我をしたり、不調に陥った場合、もしくは単により良い選手が欲しい場合に、代わりの選手を買う贅沢は彼にはできない。これは監督にとっては必ずしも悪いことではなく、むしろ監督がすべきこと、選手のコーチングに専念することができる。仮にモイーズがより大きなステージで仕事をすることがあるとすれば、今のキャリアは監督しての能力を伸ばす上で、カギとなる時期だろう。グッディソン・パークで背負っている制約は、彼が良い監督になるのを助けている。

現役の監督や選手に「Match of the Day 2」に出演してもらうのは簡単ではないが、モイーズとは喜んでソファで話をしたいし、いつだってゲストに迎える価値がある。このスコットランド人と話をすれば、ものの数分で話に耳を傾ける価値があると誰にでも分かるだろう。他の監督と違って行間を読む必要などないし、試合に臨む情熱にあふれている。そして、彼にはスコットランド人監督の伝統を引き継いでもいる。ストライカー不足に悩んでいても、ルイ・サハとの間に一線を引くことに躊躇いは無かった。

モイーズ、そしてエヴァートン・ファンたちへの大きな疑問は、ソリッドなディフェンスと中盤を持ちながら攻撃のオプションに欠ける現在のチームが、果たしてここ数年の達成レベルを維持できるのか、ということだ。2つの主要な懸念は、一体どこからゴールが生まれるのかということと、1月の移籍市場が開いた時にドレッシングルームにどのようなダメージがあるのか、だ。普通のサッカー、そしてアルテタを欠いて7位、8位でフィニッシュするのは簡単ではないはずだ。

エヴァートンにはレイトン・ベインズ、フィル・ジャギエルカ、シルヴァン・ディスタン、ジョニー・ハイティンガらが織り成すソリッドなディフェンスがある。アルテタは最も才能に恵まれた選手だったがマルアン・フェライニとティム・ケーヒルは中盤を脅威あるものにしている。しかし、前線はギリシャU-21代表のアポストロス・ヴェリオスという若きスターを獲得はしたが、確信をもたらすには至っていない。

クラブから生まれる若い選手たちがモイーズのグッディソン・パークでの将来になっている。現在の財政面の厳しさからそれは急務になっているが、それでも機能はしている。中盤のロス・バークリーはここまで最も際立っている一人、そう頻繁には出てこないタイプの選手だ。

ウェイン・ルーニー以降、モイーズは将来違いをもたらすであろう選手にも移籍を容認してきた。これは、アカデミー・レベルの選手たちを引き付けるという意味では大きな違いをもたらす。私がバーンリーでキャリアをスタートさせた頃、バーンリーは選手を囲い込むことで知られていたが、そうした状況は決断を揺るがせることになる。もしあなたが若い選手であったなら、エヴァートンとこの日の対戦相手、どちらがチャンスを得やすいだろうか?

グッディソンではピッチ外に深刻な問題が噴出しているが、これが長引けばピッチ内の問題になりかねない。モイーズは1月を怖れいているだろうし、選手たちへのオファーは来るはずだ。ジャギエルカを失ってなお使える資金がない、という状況に陥れば、代役はそれなりのレベルにならざるを得ない。

これがモイーズが直面している困難な仕事であり、マンチーニのマンチェスターでの仕事とはまったく異なる。しかし、過去2シーズンにわたってシティにダブルを食らわせていたのは、どんな選手がピッチに立つにせよ、良い監督だけが見せることができる違いだろう。

Friday, September 23, 2011

好印象を残したベラミーの2度目の挑戦

マンチェスター・シティで居場所を無くし、この夏の移籍市場でリバプール復帰を果たしたクレイグ・ベラミーは、プレーとキャラクターの双方が際立つ選手。スアレス、キャロル、カイトとのポジション争いを含め、彼はチームにどんなインパクトを残すのか。BBCのフィル・マクニルティ記者によるコラム。


++(以下、要訳)++

クレイグ・ベラミーの前回のリバプールでのキャリアは、ポルトガルのアルガルヴェでの合宿中にチームのレクとして行われたカラオケ大会中にチームメイトのヨン・アルネ・リーセにゴルフクラブを振り上げたことで最も人々の記憶に残った。ベラミーは相手が同僚であれ対戦相手であれ関係を難しくしたがる性格で、それが彼の波乱万丈の選手キャリアを描き続けてきた、したがって、水曜にブライトンのアメックス・スタジアムで行われた試合で何かが起きても、誰も驚きはしなかっただろう。

しかし、このウェールズ人ストライカーは、開始早々に先制ゴールを決めるとピッチを縦横無尽に駆け回ってブライトンを苦しめた。そして、これを見てチームメイトとしての感覚が重みになったのは、他でもなく3,500万ポンドの男、アンディ・キャロルだっただろう。

この夜は、半年ぶりの復帰を果たして16分プレーしたスティーブン・ジェラードに一番の拍手が湧き起こったが、2007年にウェストハムに売られてアンフィールドでのキャリアは終わったと見られていた選手にも、リバプール・ファンから大きな拍手が送られ続けた。ベラミーは、かつてディルク・カイトとそうであったように、すぐにルイス・スアレスと理解し合い、90分間にわたって見せ続けたスムーズな連携は、ここまでアンディ・キャロルが短いリバプールでのキャリアの中で一度として見せたことのないものだ。

キャロルはニューカッスルから移籍してきて以来、未だにリバプールにフィットしようとしている最中だが、この夜の相手がチャンピオンシップ(2部)であることを差し引いても、ベラミーがアンフィールドのフォワードの序列においてこの大きなジョーディーの立場を脅かしている雰囲気だ。

リバプールの監督であるケニー・ダルグリッシュは、実り無き1シーズンの後にアンフィールドを去った32歳を、移籍市場の締切日に獲得することを本能的に決断したが、この判断は正解だった。この日の素晴らしいパフォーマンスにより、ベラミーが今後起用されるチャンスは増していくことになるだろう。

今後はこの日ブライトンよりは難しい挑戦になるが、ベラミーはダルグリッシュの前向きなサポートに応える固い決意をもっている。それは、獲得の際にダルグリッシュがこのように語っていたことにもよる。「ベラミーはリバプールのファンで、いつもクラブのためにプレーしたと思っていた。彼はその機会をまた得たんだ。年齢を重ねれば、その分チャンスは減って行くものだが、彼がそれを掴みたいと思っている。ここに来るために、いくらかの犠牲も払っているしね。」

「彼は練習を熱心にするし、スピードで常に脅威を与えられる。いつも何かを起こす予感を漂わせているんだ。今は賢明になったし、経験を実にうまく活用している。我々には理想的な補強だったし、我々を本当に助けてくれる存在だ。今は彼が25歳の頃よりも良いプレーヤーになっていると思うね」

ベラミーはスピードとコンスタントな運動量を活かすコンビをスアレスと組んだ。開始7分の先制ゴール、そのすぐ後にも数インチ外れたヘディングを合わせて見せ、この相互理解は前半のリバプールのパフォーマンスの心臓だった。彼らが見せた運動量と流動性は、ダルグリッシュが実現したいパス&ムーブのスタイルの理想的なテンプレートだったと言える。



ダルグリッシュはベラミーのパフォーマンスを喜んだ。「彼はフットボールを愛している。ファンタスティックだった。彼がチームに加入して『貢献したい』と言ってから、本当にわずかな時間しかかからなかった。気合いも入っているし、フィットしている。クラブとサポーターを愛してると言うと感傷的に感じるだろうが、実際彼はそうで、できる限りのことをしたいと思ってるんだ」

キャロルにも当然役割があるが、今のリバプールが、スアレスをハブにしてカイトのエネルギーを加える、よりスムーズなスタイルをとっていることからは逃れられない。そしてベラミーが、彼もまたその一部になれることを示した。否定するにはあまりに重要な選手には違いないが、試合終了後の静かなアメックス・スタジアムでジョグを繰り返すキャロルは、予期していなかった新たなる挑戦が、短期で論争を呼びがちとはいえ才能にも恵まれたベラミーによってもたらされたことに気付いただろう。

Tuesday, September 20, 2011

勤勉なマタがチェルシーにもたらす教養ある作法

この夏、チェルシーの中盤活性化の切り札としてヴァレンシアからやってきたフアン・マタ。クラブからは背番号10が与えられ、その期待の高さが窺い知れる。インテリジェンス溢れる選手と言われるが、そのバックグラウンドとは。


++(以下、要訳)++

フアン・マタは、学位の取得に励みながらチェルシーでプレーする初めての選手ではない。グレアム・ルソーは1987年にチェルシーに加わった時には、当時のキングストン・ポリテクニックで社会学と環境学を学んでいた。ルソーは夕方の考古学のコースにも通っていたが、最初のスタンフォード・ブリッジでの日々ではあまり輝くことができなかった。後に彼は自伝で「過度に真面目でガリ勉だった。孤独だったしイジメに遭っていた」と振り返り、教育を受けた選手はそうした問題に陥りやすいとも付け加えた。

ドレッシングルームというのは厳しい場所であろうし、ルソーが見ていたように、フットボーラーが鎖国の国に生きているというのも、依然としてある程度は真実だろう。しかし時代は変わり、チェルシーも変わった。英語がまだ主流であるし、マタのように勉強をする選手というのも、彼を取材した記者が「実に知性溢れるフットボーラーだ」という程度には珍しい。それでも、グレン・ホドルやルート・フリット、ジャンルカ・ヴィアリ、ジャンフランコ・ゾラという流れを経て、教育への関心がルソーが感じていたような「安易なイジメの対象」の原因となることは無くなった。

それどころか、モダン・フットボールの世界では知性はアドバンテージになる。スペインでスポーツ科学の学位取得を目指し、今はマドリード大学の通信教育で体育とマーケティングを学ぶマタは、記者会見でもいくつかの罠に知性を以って対処してその賢明さを証明した。フェルナンド・トーレスのゴール欠乏症に質問が向けば矛先を巧みにそらし、イングランド人選手をスペイン人選手との比較で蔑むのは避け、レアル・マドリー時代のファビオ・カペッロとの関係についても握りつぶした。マタはスペイン語で話したが、英語の質問を翻訳する必要はなかった。

マタは「フットボールと勉強が並び立たないものだとは思わない。自分のキャリアに集中してるけど、勉強のような他のこともエンジョイしたいと思っている」と語る。これはフットボールの世界の伝統的なレジャーとも言えるパブ通いやブックメーカーでの賭け、ゴルフとは根本的に違う。この点で、マタは俊足と探究心で知られるかつてのウィンガーであるパット・ネヴィンを思い出させる。

ピッチにおいてもこの知性は、アンドレ・ヴィラス・ボアスがチェルシーをよりダイナミックに再編成しようとする中では非常に価値のあるものとなる。マタは監督について「交渉の時にもその話をして、僕は彼のアイディアに確信を得た。違うスタイルでやれるという話をしたんだ。彼はダイナミックで攻撃的なスタイルのフットボールが好きだからね。去年ポルトでたくさんのトロフィーを勝ち取る中でもそれは見せていたと思う」と語る。

チェルシーに来るようにフェルナンド・トーレスに熱心に誘われたというマタは、「素晴らしい選手がいる大きなクラブに来れるのは最高だ。トーレスのゴールなんて時間の問題だよ。偉大な選手だし、ゴールを決める能力があることは既に見せている。どの選手にも色々な時期があるけど、今シーズンは彼のシーズンになるよ。フェルナンドは選手としては今まで同じだと思っている。火曜日のレヴァークーゼン戦の出来は素晴らしかったし、ストライカーとして貢献していると思う」と続けた。自分のポジションについては、「僕は純粋なウィンガーじゃない。攻撃的な中盤の位置でプレーするのが好きだけど、他のポジションもやれるよ。左右や中央の好みは別にないんだ。ラインの間にいるのが好きかな」と説明した。

現在23歳のマタは、15歳でレアル・マドリーに加わったがBチームであるカスティージャでしかプレーできなかった。19歳の誕生日が近付く頃、元レアル・オヴィエドの選手で代理人でもある父親は、他のクラブが興味を示していることことから、レアル・マドリーは契約をオファーすべき、と提案した。しかし、当時監督だったファビオ・カペッロはそれに異議を唱え、マタはヴァレンシアに加入することになった。「カペッロにはチャンスをもらえなかったのか?」と聞かれると、マタは再び慎重にこう答えた。「僕はまだ若かった。契約が終わってヴァレンシアに行っただけで、そもそもカペッロとの接点はそんなに無かったんだ」

おそらくカペッロの考えではなかったのだろう。彼もやがて解任となるし、当時のスポーツ・ディレクターだったプレトラグ・ミヤトビッチは新たなウィンガーとしてロイストン・ドレンテ(今季エヴァートンにやってきた)と契約を進めていた。誰が過ちを犯したのであれ、マタがチェルシーに移籍した際にヴァレンシアが得た移籍金2,350万ポンドのうち、レアル・マドリーの取り分はわずかに46万ポンドだった。

Friday, September 16, 2011

依然大きいマンチェスター勢とバルセロナの差

アラン・ハンセンのコラムは前にも取り上げたけど、かつて「ガキにタイトルは無理」と評したマンチェスター・ユナイテッドがタイトルを獲って以降よく皮肉られてて、彼がユナイテッドを語るとすぐに引き合いに出されるのがちょっと面白い。今回は、プレミアを突っ走り始めた両チームでもまだバルサとの差は大きいって話。


++(以下、要訳)++

この夏のマンチェスターの両チーム、シティとユナイテッドの補強で、彼らとバルセロナの差は縮まったと考える者もいるだろうが、私はまだその差は大きく、バルセロナは遥か先にいると考えている。

チャンピオンズリーグの相手と国内のプレミアリーグの相手は全く別物なのだ。国内では、ユナイテッドもシティの脅威を肌に感じていることを否定はしないだろう。トップにいる間は、次の挑戦者を探し求めるものだが、チェルシーがその座に留まる一方、シティもそのポジションに居座りそうな気配だ。ユナイテッドのように、シティも2枚の紙に別々のスターティング・イレブンを書いても依然として強力な選手層を持っている。

しかし、ユナイテッドとシティが次のミュンヘンでのチャンピオンズリーグ・ファイナルに向けてマンチェスター人が支配する時代を宣言しようと、サー・アレックス・ファーガソンとロベルト・マンチーニはバルセロナによって敷き詰められた障壁を乗り越えて行かなければならない。

プレミアリーグのトップでつば競り合いをする両チームだが、チャンピオンズリーグではあらゆる面でユナイテッドに一日の長がある。ユナイテッドには経験があり、この4年で3回ファイナルに進出、選手たちもチャンピオンズリーグの勝ち方を知っている。

しかし、同時に彼らには大きな舞台でまたバルセロナに負けるのではない、という不安も持っている。もし、ユナイテッドがどこかでバルセロナと対戦する機会があったとしても、勝敗はピッチ上で起きたことによっては決しないだろう。

ユナイテッドは心理的な恐怖感を克服する必要があり、それはバルセロナに勝つことによってしか成し遂げ得ない。これをセミファイナルかファイナルで実現する必要があると考えると、その壁の高さが分かるというものだ。

シティにとっての挑戦は種類の異なるものだ。彼らにはユナイテッドのような恐怖感は無い。しかし、マンチーニのチームが信じ難い攻撃面での才能と中盤の強さを持つ一方で、守備面でのオプションに懸案材料を見てとれるだろう。

彼らには、ジョー・ハートに代わるトップレベルのゴールキーパーがいないし、ヴァンサン・コンパニがプレミアトップ3レベルの良い選手である一方、ジョレオン・レスコットはそこにはあてはまらない。左サイドバックはシティの決定的な弱点だ。アレクサンダル・コラロフとガエル・クリシーの2人は前には出られるものの、守備面で説得材料を欠く。ヨーロッパでシティはこうした弱点からプレッシャーを受けることになるのだ。ディフェンスはトップレベルになく、特に左サイドのレスコット、コラロフ/クリシーはチャンピオンズリーグのレベルにないと言わざるを得ない。

ここまでのユナイテッドとシティの印象的なパフォーマンスはあるにせよ、ヨーロッパでは全く異なる挑戦を経験することになる。シティは国内で感じたことのないプレッシャーと向き合う必要があり、特にアウェーでそれは顕著になるだろう。よく組織されたチームには手を焼くだろうし、マンチーニのもと、選手たちは11人が一丸となってこれを克服しなければならない。

シティはナポリ、ヴィジャレアル、バイエルン・ミュンヘンとともに典型的な「死の組」に入っており、我々はシティがいかに優れたチームで、決勝トーナメント進出に向けていかにチームとしてコレクティブに戦えるか、見ることができるだろう。

ユナイテッドの若手が際立った活躍を見せている一方で、サー・アレックスは経験はヨーロッパでの経験がモノを言い、彼らにはまだそれが無いことを分かっているだろう。彼らはイングランド代表ではプレーしたかもしれないが、ヨーロッパの舞台は代表とはまた別の生き物だ。人々は彼らなら2秒で慣れると言うだろうが、そうシンプルな話ではない。

サー・アレックスのチームには経験ある選手がいて、チームは程良いブレンドで進歩していくことができるだろう。それでもすべての話はバルセロナに戻ってくる。なぜならば、仮にユナイテッドかシティがチャンピオンズリーグを制するとしたら、それはバルセロナが頂点から陥落することを意味するからだ。

それが起きるには、どのチームかがバルセロナを倒せるだけの力をつけねばならないが、対抗するチームの前には長い道のりがあるように思えるのだ。

Monday, September 12, 2011

スコット・パーカー、回り道した脚光

個人的に物凄く嬉しかったスコット・パーカーのスパーズ加入。昨シーズンこそフットボーラー・オブ・ザ・イヤーを受賞するなど脚光を浴びたが、それまではイングランド代表にも定着できず、必ずしも順調なキャリアではなかった。実際、メディアで取り上げられる際にも、「代表の最初の4キャップがすべて違うクラブ」といった小ネタが付け加えられることも多い。その彼がスパーズに辿り着くまでの道程を「テレグラフ」紙のヘンリー・ウィンター記者がコラムにしている。


++(以下、要訳)++


一躍有名人になったこのCMへの出演から17年、尊敬は集めるもののトップランクのミッドフィルダーとはみなされないキャリアを歩んできたが、スコット・パーカーは再び一躍スターとなった気分でいる。彼はフットボーラー・オブ・ザ・イヤーであり、イングランド代表の欠かせぬ歯車であり、ボールを蹴る前からスパーズが抱える問題への解答として迎えられた。

スパーズ・ロッジでのトレーニングを前に、パーカーはこの急なメインストリームへの上昇や、ファビオ・カペッロのイングランド代表で、ジャック・ウィルシャーとスティーブン・ジェラードの後ろを締めるファーストチョイスのアンカーとして重要な役割を担うようになったことを思い返した。このスターへの旅路の裏には何があったのだろうか。

「キャリアの最初の頃はまだメンタル的にも未熟で、色々な事で落ち込んでいた。僕はいわゆる小さなクラブのチャールトンにいて、そこからビッグクラブ(チェルシー:2004年)に移ったんだけど、オーナーが補強に何百万ポンドも投資している時で、僕には都合が悪かった。そこは考え方だけど」フランク・ランパードとクロード・マケレレが彼の前に立ち塞がっていた。

「ニューカッスルに行ったけど、サム・アラーダイスはあまり僕を気に入らなかったみたいで、僕の本当のプレーを見る間もなく僕を売ってしまった」と彼は続けた。そしてパーカーはウェストハムで周囲を魅了し、チームは苦難の道を歩んでチャンピオンシップに降格してしまったものの、個人として輝いた。キャプテンに批判の声は上がらず、賞賛と名誉が彼に寄せられた。しかし、なぜ今がパーカーの「プライムタイム」なのだろうか?

「僕はいまハッピーだし、フットボール以外の部分も落ち着いている。家族は落ち着いていて、子供たちも学校に通っているから、気にしなきゃいけないことが無いんだ。それでこの2年間、素晴らしいパフォーマンスを発揮できているんだと思う。プレーのレベルや自信は以前より高い水準になった。半年前は代表メンバーに入るのも一苦労だったけど、今は随分良くなった」5月にフットボーラー・オブ・ザ・イヤーに選出されたことも、彼が自信を深める助けになった。

「賞賛を浴び、自分のしていることに敬意が払われれば、自信につながる。誰だって同じことさ」彼はそう付け加えた。

パーカーが熱烈な賞賛を浴び、トップチームへの移籍を実現した理由のひとつは、監督やメディアがアンカーの価値を益々評価するようになってきたからだ。パーカーも、「イングランドにはテクニックに秀でて、ボールを持たせたら一級品の中盤の選手が沢山いる。でも僕がやっていることはそうした選手たちとは違うんだ。スパーズには素晴らしい選手が沢山いるけど、メンバーを見れば、特に守備面で僕が貢献できるところある」と語る。

「チェルシーと契約した時、僕はクロード・マケレレと一緒だったけど、彼がこの役割を見出したと言ってもいい。彼にはどうやってゲームの流れを読むのか、多くを教わった。まず最初に彼を見ることが出来たのは大きな助けになった」

「その役割には何の不安もないし、エンジョイしているくらいで、僕にとっては最も自然なんだけど、去年はどんどん前に出るようになった」確かに彼は、彼の子供の頃のアイドルであるポール・ガスコインや今の代表のスティブン・ジェラードやフランク・ランパードのように前に出てゴールを決めることが出来る。「僕が成長している頃、ジェラードやランパードも若かったけど、彼らはビッグクラブにいた。だから、彼らの良いところ - 動き、アシスト、ゴール - を研究したよ」

スパーズの監督であるハリー・レドナップはこう語る。「スコットは完璧なオールラウンドのミッドフィルダーだ。私にとって、彼は守備的な選手ではない。彼は前線に出て行って、ゴールを決めたり、そのチャンスを創ることができる。そして彼はリーダーでもある。いつの日か彼が監督になることがあれば、良い監督になると分かるよ。息子(ジェイミー・レドナップ)とも友達で、夕飯に一緒に出かけたよ。選手のことなんかも聞いたけど、彼は良い意見を持っていたね」

攻撃に参加することも許されるだろうが、彼のスパーズでの主な役割はディフェンスラインの前で盾になり、ルカ・モドリッチを前に押し上げることだ。サンドロが復帰してフィットすれば、パーカーとコンビを組ませ、モドリッチをサイドかエマニュエル・アデバヨルの後ろに置くことも出来るだろう。

レドナップは、QPRやストーク・シティもパーカー獲得に関心を示す中、賢明に動く必要があった。パーカーは、ファビオ・カペッロの代表に選ばれ続けるには降格したクラブを出る必要があり、カペッロもそれを公言していた。パーカーは、「チェルシーも動いていたけど、あれは多分ローンでハマーズはあまり話に熱心じゃなかった。もしチャンピオンシップでプレーしてたら、ヨーロッパ選手権に出るのは難しくなっていたと思う。自分の国のためにプレーできれば、それはキャリアの絶頂になる。僕にとっては重大なことだ。イングランド人はみんな代表でプレーすることを名誉に思っているし、僕たちは皆幸運だと感じている」

パーカーは、33歳にしてもう代表キャリアの峠を越えた、というランパードに向けた中傷には「信じられない」と首を振る。「ランパードへの批判は厳しすぎると思う。フランクは僕がチェルシーに加入した瞬間から目標にしてきた選手だ。ジョン・テリーが言ってたけど、僕もそんな風に誰かを切り捨てたりはしない。彼は強いハートの持ち主だし、人々が間違っていたと証明できるはずさ。年齢を重ねた時にいくつか悪い試合があるとそう言われるものなんだ。フランクはスロースターターかもしれないけど、ワールドクラスの実力でまだチェルシーにも代表にも貢献するはずさ」

「今や選手は長くプレーするようになった。僕は4年契約でスパーズに来たけど、ここを最後のクラブにしたいと思っている」パーカーはそこで言葉を止めて笑うと、私のいぶかしげな視線に気付いた。「ああ、計算をしているんだな。4年たったらコイツは34歳、もう走れないだろうって。でもこの世界の進歩は早くて、スポーツ科学、栄養学、飲む物から自分の体の手入れまで、プロフェッショナルなアスリートであるために出来ることは沢山ある。契約が終わるときにもまだまだやれることを証明したいと思っているよ」

「スポーツ科学のことはよく研究してるんだ。皆が注目するプレミアリーグや代表でやってれば、相手より1%上回れることにどれだけインパクトがあるかは分かっている。僕は毎日向上しようとしているし、ハリーの下でも成長できると確信しているよ」

30歳を超えて脚光を浴びるスコット・パーカーは、ますます強靭になっている。

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記事はスパーズでのデビュー戦となったウルヴズ戦を控えてのものだったけど、そのウルヴズ戦はまずは手堅いプレーで存在感を示してくれた。いきなりの満点なんて期待してないし、この先ジワジワ連携も深めて、スパーズ・レジェンドの一人になってくれたら嬉しいわ。

※ちなみに記事ではパーカーをハマーズのキャプテンと言っているけど、昨シーズンの実際のキャプテンはこの間ストークに移籍したマシュー・アップソン。アラーダイスもインタビューでこのことを念押ししてたけど、それだけのリーダーシップってことだね。

Friday, September 9, 2011

アーセン・ヴェンゲルの栄枯盛衰

久々のサイモン・クーパーのコラム。どっかでバカンスでも取ってたんだろうか。この間、アーセナル本部の混乱模様をピックアップしたばっかで気が引けたけど、彼も取り上げずにはいれないトピックなんだろうな、これ。違うな、と思うのはモナコ時代まで辿るあたり。


++(以下、要訳)++

1988年、当時モナコの監督だったアーセン・ヴェンゲルは、カメルーンでプレーする若いリベリア人選手を追跡していて、毎週ジョージ・ウェアに関する興味深いレポートを受け取っていた。最終的にヴェンゲルは試合でのプレー視察のためにスタッフを送り込むと、そのスタッフがこんな電話をよこしてきた。「悪い知らせは、ウェアが腕を骨折したということ、良い知らせは、それでも彼はプレーを続けたことです」

ヴェンゲルはこれを気に入った。ウェアは飛行機でモナコにやってきて契約にサインしたが、依然としてみすぼらしい気分で座っていて、まだ1セントも貰ってないと不満をこぼした。ヴェンゲルは500フランスフラン(当時の50ポンド程度)を自分の財布から出し、ウェアに手渡した。プライベートでは話し上手なフランス人監督は、これをウェアの「契約ボーナス」だったとして冗談にしている。今ではリベリアの政治家であるウェアは、最近ヴェンゲルが彼に言っていたことを思い出していた。「精一杯努力すれば、ヨーロッパのベスト・プレーヤーになれる」

「そうだな」とウェアは思った。しかし、ヴェンゲルは正しかった。1995年に、ウェアはフットボーラー・オブ・ザ・イヤーに選出され、彼はそのトロフィーをメンターに贈った。

この話は、何がヴェンゲルを偉大な監督にしたのかを良く語っている。彼のグローバルな眼、質を見極める力、そしてそれを安価に手に入れる才覚だ。それでも、その偉大さが彼を取り残した一面もある。彼のもとでアーセナルは2005年以来トロフィーを勝ち取っていないし、先月はより裕福なクラブに2人の選手を奪われ、マンチェスター・ユナイテッドには2-8で敗れた。多くのアーセナル・ファンはヴェンゲルにウンザリしていて、彼の下降はあらゆる面での開拓者たちへの警告となっている。

1996年にヴェンゲルが日本からアーセナルにやってきた時、イギリスの孤島の人々のフットボールが誰も持っていないノウハウを持ち込んだ。当時のイギリス人監督たちは海外になど目を向けなかったが、ヴェンゲルはあらゆる場所のタレントにアンテナを立てた。日本で働いている間にも、ACミランのリザーブチームにいたシャイな青年の世話をしていてミラノでよくその姿を目撃されたが、そのパトリック・ヴィエラは後にアーセナルの偉大なキャプテンとなった。ヴェンゲルは、当時ユヴェントスのウィンガーとしてベンチ暮らしをしていたティエリ・アンリに、君は本当はストライカーだ、と告げた。アンリは、「監督、僕はゴールなんて決めてません」と反論したが、彼はアーセナル史上最多のゴールを挙げるストライカーとなった。ヴェンゲルは、誰も目を付けていなかったティーンエイジャーのニコラ・アネルカやセスク・ファブレガスを発掘した。そうしてヴェンゲルは海外から選手をスカウトする恩恵を見せ付けた。

彼は栄養学のパイオニアでもあった。彼はアーセナルの選手たちに日本的な魚介類や茹で野菜を摂らせた。選手たちはバスの中で「『Mars』をよこせ!」とチャントしたかもしれない。そして経済学の学位を持つことから、イングランドのフットボールに統計も持ち込んだ。彼は、どの選手が何秒ボールを保持していたか、といった数字をチェックしていた。ジルベルト・シルヴァが放出されたのは、この数値がわずかに上がったためだった。ヴェンゲルは、フットボールの究極の理想である速いペースでのパスゲームを熱望し、これをアーセナルで実現した。「Invincibles」として名高い、リーグを無敗優勝した2004年のチームだ。

ヴェンゲルは開拓者ではあったが、革命家ではなかった。例えば、彼はアーセナルのイングランド伝統の無骨な守備をそのまま長きに渡って維持した。「私は変化をゆっくり導入した」と彼も思い返している。自ら言っていたことだが、彼の一番の資質はより経験のある人に耳を傾けることだった。

彼の目指す頂上は、チャンピオンズリーグ制覇であるはずだ。これには一度手を掛けた。2006年のファイナルでアーセナルはバルセロナを1-0でリードしていて、アンリはゴールキーパーと1対1になった。しかし、これをゴールキーパーが防ぎ、バルセロナが勝った。1年後、ヴェンゲルはアテネでACミランがリバプールを下してトロフィーを手にするのを観ていた。しばらくしてミラネーゼたちがメダルを受け取るのを見つつ、両手をたたき始めながらこう言った。「分かっただろう。チャンピオンズリーグを勝つにはごくごく普通のチームで良いんだ」鋭い視線を持つ数学者としてでも、どんな一発勝負も結果の行方は気まぐれであることを分かっていた。彼は幸運に恵まれなかった。

やがて彼は素晴らしい開拓者に付き物の運命に苦しむことになった。周囲が彼のすることをコピーし始めたのだ。ライバルクラブたちは、ヴェンゲルの国際スカウティングや栄養学・統計学の導入を模倣していった。フットボールの世界では、最もサラリーの高いクラブが勝つ。アーセナルの給与総額はイングランドで5番目の高さだ。多くの監督たちと違って、ヴェンゲルは手元にある資金だけを使う。彼はマンチェスター・ユナイテッドよりも早くクリスティアーノ・ロナウドを見出したが、より高い移籍金で彼を獲ったのはユナイテッドの方だった。アーセナルは資金を非常に注意深く使うため、通常は個別の移籍案件ごとに利益を生んでいる。

オークランド・アスレチックスのGMで、野球の世界でのパイオニアであるビリー・ビーンは、「私がヴェンゲルのことを考えて思い起こすのは、ウォーレン・バフェットのことだ。ヴェンゲルは彼のクラブを何百年も維持することを考えて経営している」と語る。ヴェンゲルは、より大きなスタジアム、エミレーツへの移転を陰から引っ張った。これまで一度たりともビッグクラブでなかったアーセナルは、今では世界で5番目の収入を上げるクラブになっている。それでも、短期的にはスタジアム建設にかかった負債が支出を切り詰める結果になっている。

さらに悪いことに、ヴェンゲルは素晴らしい開拓者のもうひとつの運命に苦しんでいる。彼は、過度に自分自身を好むようになってしまった。もはや彼が賢明な批判に耳を貸すことはなくなってしまい、自らの欠点をそのまま放置しているのだ。フィジカルの軽視やゴールキーパーのポジションへの盲目、資金があるにもかかわらず見出すバーゲン買いへの喜び、そしてゴールよりも完璧なパスの追求だ。アーセナルでの支配力が強くなりすぎてしまった今、誰もそれを正そうとしているようには見えない。クラブのCEOであるイヴァン・ガジディスも認める。「我々は民主的なクラブではない」

今シーズンは、ヴェンゲルのロンドンでの最後のシーズンとなるかもしれない。アーセナルでプレーしたい、というエリート選手はほとんどいない。彼がトロフィーを勝ち取ることはもう無いだろうが、彼がイングランドのフットボールを変えたのは事実で、彼の栄枯盛衰はあらゆる分野の開拓者たちの教訓となるだろう。

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前回サイモン・クーパーが「ファイナンシャル・タイムス」に出したコラムでもデータやヴェンゲルの話は取り上げられていて、彼にとっても興味深い対象だったのだな、と感じた。ま、あのコラムは早々に日本の雑誌に翻訳が載って若干凹んだけど。

Wednesday, September 7, 2011

ピーター・クラウチ、巨人の島に流れ着く

スパーズでチャンピオンズリーグ出場を決めるゴールをシティ戦で決め、チャンピオンズリーグでは、ACミランを破る決勝ゴールを決めたピーター・クラウチ。逆に、レアル・マドリー戦では早々に退場となり、次の出場権を手繰り寄せたかった昨季終盤のシティ戦では、1年前とほぼ同じ場所でオウンゴール。外見だけでなく、スパーズ・ファンには印象に残るシーンを演出してくれた選手だったが、今回のマーケットでストークに移籍することになった。そこで切り拓く未来とは。「テレグラフ」紙のジム・ホワイト記者による、アーセナルとストークの比較を交えたコラム。


++(以下、要訳)++

アーセン・ヴェンゲルがオールド・トラフォードで惨敗を喫した後に言ったことのうち最も驚いたのは、アーセナルが移籍を掌る部署に20人を雇っていて、日々アーセナルにフィットする才能の発掘と獲得を担っているということだった。この狂ったような夏の移籍市場が閉じると、我々は「このヴェンゲルに仕える20人の部署は残りの364日は何をしているのか」と聞きたくなるだろう。

8月31日のエミレーツは、クリスマス・イヴが近づく高速道路のサービスエリアのようで、売り場の棚はどんどん空っぽになり、どんなものでも残っていれば懸命に買物カゴへと入れられた。ライバル2チームで余剰人員となったケガがちなイスラエル人は、本当にアテになるのか?

いないよりはいい。他に誰も残っていなかったのだから。

アーセナルが公衆の面前で監督が長きに渡って大事にしてきた哲学を解体し、高い値段をつぎ込む24時間を見ながら、最初に浮かんだのはこのシステムへの批判だった。こんな条件でどうやって効率的なビジネスをするのだ?ある意味、「売る」クラブが締切間際のプレミアムを期待して待ち続ければ、最終的にはパニック買いを誘発するのは目に見えている。

それでも、この騒乱の真っ只中で非常に効率的に取引を進めていたクラブがある。

ストーク・シティはこの夏、非常に良い補強をした。彼らが獲得した選手は、ヨーロッパでも戦うチームを強くするだけではなく、その明快な意図を周囲に伝えるものだった。

記憶の良い読者であれば、コヴェントリー・シティで監督をしていたジョン・シレットを覚えているだろう。1987年のFAカップで優勝し「今まで随分長い間ウールワースで買い物してきたが、これからは買い物はハロッズだ」と語っていた。

結局コヴェントリーのその後はそうはならなかったが、この夏のストークはプレミアリーグでの安定感を取り戻し、世界で最も裕福なオンライン・ブッキング企業をオーナーに持つことから、まるでハロッズのカードを持つかのようなった。

そして、アーセナルの締切間際のパニックとは異なり、ストークの投資には、規模は別にして一貫性があった。ピーター・クラウチが6フィート7インチ、ジョナサン・ウッドゲイトは6フィート2インチ、そしてマシュー・アップソンとキャメロン・ジェロームは6フィート1インチ。トニー・ピューリスが得た果実は、バルセロナが主張する「チビこそ進む道」に鋭く反論するものとなった。

より標準的な5フィート10インチのウィルソン・パラシオスには当てはまらないとしても、ブリタニアでの選手獲得ポリシーはすべてメジャーで測って決められているのではないかと考えざるを得ない。4人の代表選手がストークにやってきたが、皆プレミアリーグとヨーロッパの舞台で実績があり、より重要なことに、皆何か自分を証明するものを持っている。

しかしながら、最も重要な取引はクラウチだった。彼は最後の最後にやってきた。スカイのカメラがストークのオフィスにいる彼の痩せ顔をとらえた時もまだ交渉は続いていて、ビッグベンはもう移籍市場の終了を伝えようとしていた。1,000万ポンドは安い買い物ではないが、価値を証明する甲斐があるというものだろう。これは冷静な頭脳と落ち着いた気性、そしてその脚のように長い実績の履歴書を持つ男なのだ。

昨シーズン、トッテナムのチャンピオンズリーグへの挑戦において、クラウチはファースト・チョイスのフォワードであり、10試合で7ゴールを決めた。アテにならないスパーズ時代のチームメイトの何人かと比べて、彼はケガにも強く、好不調の波も無い方であり、意志の強い努力家だ。それでも、彼の以前の雇用主たちは同じポジションに彼ほどの意志もなくゴール数も少ない選手を残しつつ、彼を売ることを決めてきた。

奇怪なフットボール財務の世界においては、クラウチは彼の売却につながる一貫性を持っているのだろう。彼の監督が補強で誰かを連れてこようと思えば、誰かのサラリーを削る必要があるのだ。そして、彼の会長がルカ・モドリッチをキープすることで名誉を守るのだとすれば、ハリー・レドナップにとって最も売却の容易な資産はクラウチだったのだ。結局のところ、誰もロマン・パヴリュチェンコにはオファーを出さなかった。

これはクラウチのキャリアの中で何度も起きてきたことだ。最初にスパーズで。次いでQPR、リバプール、ポーツマスでも起きたが、その間、誰を失望させることもしなかった。

イングランドでも同様だ。ファビオ・カペッロはクラウチの誰もが羨むようなゴール実績を否定し、アンディ・キャロルの屈強な体躯と比較して説得力が無いと考えている。事実は、その体格から、彼はフットボールのスタイルの変化による影響を最も受けやすい、ということだ。

これはつまり、彼は遂に自分に相応しい場所にたどり着いた、ということを意味する。結局のところ、ストーク・シティでは背の高さが原因で選手同士が争うことなど無い。

クラウチは遂に彼が属する「巨人の島」という場所に歓迎されたのだ。

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細長い体系が自分に似てて、クラウチは相当に感情移入する選手だったから、スパーズを出るのは残念だったけど、行き先がストークだった時は安心もした。背に目が行きがちだけど、俺はあの柔らかいタッチのプレーが結構好きなんだよな。このあいだ取り上げたウッドゲイトと同じくスパーズ⇒ストークの移籍。プレミアだけじゃなくて、ヨーロッパ・リーグでも対戦できるかなぁ。

Saturday, September 3, 2011

爽快なイングランド代表とカペッロ采配

フランク・ランパードのスタメン落ちや、4-2-3-1の採用で話題となった、ユーロ予選のブルガリア戦。これまでと異なるキャラクターを見せたイングランド代表は、アウェーでキッチリと結果を出して見せた。その変化について、「ガーディアン」紙のリチャード・ウィリアムス記者のコラム。


++(以下、要訳)++

新しくスマートなオックスフォードとケンブリッジの濃淡の青を身にまとって現れた彼らは、金曜の夜の試験を何のトラブルもなくやり過ごした。遂に実現したモダンで合理的な4-2-3-1への適応は、信頼性のある守備と柔軟性のある攻撃をもたらし、いつもと変わらぬ平凡な相手から常時主導権を握り続けた。

スタジアムでは発煙筒や花火が焚かれ、ブルガリア人をオスマン・トルコから解放した19世紀の英雄をあしらった横断幕が掲げられたが、数千にのぼる空席が実際の熱狂度を語っていた。ローター・マテウスのチームは、1年前にウェンブリーで敗れたスタニミル・ストイロフ時代から何の改善も見せなかった。

ソフィアのヴァシル・レフスキスタジアムには、フリードリヒ・シラーの語録である「戦う時こそ真の男」という言葉が、元々のドイツ語と翻訳のブルガリア語で掲げられている。おそらく、この18世紀の哲学者の言葉でファビオ・カペッロ率いるイングランドにより関連があるのは、「暴君の権力には限界がある」の方だろう。

カペッロは、どちらかというと各イベントを仕切るよりも、そこに雇われるタイプの人間だが、3年半前のイングランド代表就任時に求められていたのは、仕切り屋だった。現在の才能ある若手登用の流れは、彼が強いられた類のものであるが、金曜の夜を見る限り、彼はそれを最大限利用したように思われる。

彼が選んだメンバーは興味深いものだった。伝統的なセンターフォワードや守備的な中盤は置かず、先発にフランク・ランパードの名前は無かった。徐々に、徐々に、ではあるが、古い世代は陰へと追いやられ始めているのだ。リオ・ファーディナンドの背番号5はギャリー・ケーヒルが着け、このボルトン・ワンダラーズ所属のディフェンダーは、4キャップ目をセットプレー後に混乱する相手ディフェンスを尻目にゴールキーパーの股を抜く自身のゴールで祝った。

そしてセンターフォワード無しとは一体何だったのか?ケーヒルのゴールの6分後にはウェイン・ルーニーが、代表での1年ぶりのゴールを右コーナーキックからのヘディングで決めた。こんな荒らしい場面は今では伝統的なものだが、おそらくナット・ロフトハウスは誇りに思うだろう。前半終了間際にはイングランドの3ゴール目を奪った。

3点をリードしたイングランドのパフォーマンスの中で戦術的に興味を引いたのは、テオ・ウォルコット、アシュリー・ヤング、そしてスチュワート・ダウニングがルーニーの後ろのラインで自由なポジションチェンジを許されていたことだろう。ピッチを駆け回るように、3つのポジションを順々に入れ替わっていた。ギャレス・バリーとスコット・パーカーが後ろに控えていたことで、このクリエイティブなトリオは、ディフェンスのことを気にかける必要はほとんどなかったし、バリーとパーカーの2人は創造性を発揮する負担を感じずに済んだのだ。

3点目は、ウォルコットが右サイドから中に切り込み、外のヤングに開いたパスを、ヤングが絶妙なクロスでルーニーに折り返したものだが、これはブルガリアのディフェンスの欠陥を更に曝すことになった。しかし、自信に満ちた滑らかな展開は印象的で、イングランドはかなり前掛かりだった。

ブルガリアを下した昨年の代表デビューからの1周年を翌日に控えていたケーヒルは、ハーフタイム前にはいくつかの決定的なディフェンスで貢献したが、この日のチーム最年少だった21歳のクリス・スモーリングは、いくつかの不安定さと右サイドバックでの経験不足を露呈し、逆サイドからのクロスがマルティン・ペトロフに渡って危険な場面を招いた。

後半のイングランドはいつもの効率性の問題が顔を出し、集中していればスコアを倍にもできたはずだったが、それでもこの日のイングランド代表はアウェーの地でホームではできないようなポジティブなフットボールを展開した。ウェンブレーで迎えるウェールズ戦は、このムードを維持できるかどうか、もっと言えばカペッロの影響力の深さの興味深いテストとなるだろう。

Thursday, September 1, 2011

締切間際のアーセナル本部

セスク・ファブレガスとサミ・ナスリの移籍と、週末のマンチェスター・ユナイテッド戦の歴史的な大敗を受け、プレッシャーに満ちた移籍市場の締切を迎えたアーセナル。本部の混乱ぶりをBBCのダン・ローン記者が克明に描いている。


++(以下、要訳)++

時計は21時を回り、ハイバリー・ハウスにあるアーセナルの本部とスタッフたちは、トランスファー・ウィンドウ史に残る狂乱状態となった数時間を経て、皆くたびれ果てていた。

社長室では、イヴァン・ガジディスが一日中代理人や他クラブのスタッフに電話をかけまくっていた。彼は、セスク・ファブレガスとサミ・ナスリの売却で可能となり、2-8で敗れたマンチェスター・ユナイテッド戦で必須となった投資を実現させるために必死だった。

そこから数ヤード離れると、クラブの秘書であるデイヴィッド・ミルズ、会計責任者のスチュワート・ワイズリー、トップ弁護士のスヴェニャ・ガイスマーらが怒り狂ったかのように登録文書を埋め、プレミアリーグに念を入れてメールしていた。クラブの財務・法務部門の約20人のスタッフは、かつて記憶にないほど懸命に働いた。

メディカルチェックが済むと、マーク・ゴネラ率いるクラブの広報部門が呼ばれ、ウェブサイト用のインタビューがクラブのロンドン・コルニー練習場で収録された。そこから100ヤード離れた道路には、BBC、ITN、スカイの報道担当が新情報を生中継している。

火曜日の韓国人パク・チュヨンに続いて、ドイツ人のペア・メルテザッカー、ブラジル人のアンドレ・サントスの獲得が決まり、次に放出の話が進んでいた。出口に向かうのはジル・スヌとジョエル・キャンベルがともにロリアン、交渉が長引いたヘンリ・ランスベリーがウェストハムに加わることになった。ニクラス・ベントナーのサンダーランド行きとチェルシーからのヨッシ・べナユンのローンはまだ決まっていなかったが、光明は見えていて、どちらもやがてサインにこぎつけるはずだった。

興奮状態の残り数時間を迎えながらも、ハイバリー・ハウスにはフラストレーションがたまっていた。ファンが求める中盤の看板選手の補強が、アーセナルの手から滑り落ちていた。ミケル・アルテタへの500万ポンド、1,000万ポンドのオファーはエヴァートンに拒絶され、ファブレガスとナスリによって空いた中盤の穴は埋まらないままだった。

そこに突然希望の光が射した。アルテタがエヴァートンの監督であるデイヴィッド・モイーズに明確にアーセナルへの移籍志願を表明したのだ。エヴァートンはこれを妨げない決断をし、23時が近づく中、動きが再開したのだ。時間に間に合うだろうか?

元スカウトのリチャード・ローが中心となって移籍を取り仕切る運営チームも、急いで仕事に戻った。ガジディスもすぐにアーセン・ヴェンゲルに電話をかけ、吉報を伝えた。ヴェンゲルはUEFAの監督会議に出るためにスイスにいたが、常にガジディスとコンタクトはとっていた。この段階では、まだクラブのメイン株主であるスタン・クロエンケもクラブの役員たちも関わっていない。意見を聞いている時間は無く、決断を迅速に下す必要があったのだ。23時過ぎ、アーセナルはアルテタの獲得をアナウンスした。しかし、この最後のスクランブルが、見劣りするメンバーを活性化できただろうか?

ファンサイトの「Le Grove」を運営するピート・ウッドは、この最終日は、クラブの本気度が試された日だったと考えている。「結果的に自分たちで課した時間制限に対して、アーセナルは格段の進歩を見せた。昨日で、トップ4がまた現実的だと思えるようになったが、この夏が成功だったかといえば答は『ノー』だし、クラブが進歩したかといえば、それも『ノー』だ」

「しかしながら、マンチェスター・シティやチェルシーのような何億ポンドも投資できるクラブが出てきて、リーグ優勝争いはもうアーセナルのファンが期待する基準ではない、ということを認める時なのかもしれない。別にこれは誰も口にしたくないような話ではないけどね。この夏、アーセナルもアーセン・ヴェンゲルも怠慢だった。最後の2日間でやった仕事は、6月に済ませておくべきだったんだ」

アーセナル・サポーター基金のティム・パイソンは、より批判的だ。「ミケル・アルテタとペア・メルテザッカーはいい取引だが、真実はより好ましかった2人、フアン・マタとフィル・ジャギエルカを獲れなかったということだ。疑問は、クラブはチケット代を6.5%上げ、450万ポンドの純利益があるのに、なぜそれが使われないのかということだ」。アーセナルのファンは確かに「なぜ、世界でも有数の金持ちであるクロエンケとアリシャー・ウスマノフが大株主にいるのに、移籍金や給与で他クラブに競り負けるのか」を聞く権利がある。

締切日のアーセナルは、間違いなくエキサイティングで、トラウマを持つファンに恵みをもたらし、確かな才能でチームを補強した。アルテタ、ベナユン、ジャック・ウィルシャー、アーロン・ラムジー、ロビン・ファン・ペルシー、そしてテオ・ウォルコットが織りなす攻撃は脅威だろう。しかし、ハイバリー・ハウスのスタッフの頑張りも、ファンの期待の大きさ、失った選手たちのインパクトから判断するに、まだまだ小さく、遅すぎるのだ。

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個人的にアルテタの「チャンピオンズリーグなんてエヴァートンで出るさ」ってスタンス、好きだったけど。減給呑んだらしいけど、あとで上げてやれよな、アーセナル。