Friday, September 9, 2011

アーセン・ヴェンゲルの栄枯盛衰

久々のサイモン・クーパーのコラム。どっかでバカンスでも取ってたんだろうか。この間、アーセナル本部の混乱模様をピックアップしたばっかで気が引けたけど、彼も取り上げずにはいれないトピックなんだろうな、これ。違うな、と思うのはモナコ時代まで辿るあたり。


++(以下、要訳)++

1988年、当時モナコの監督だったアーセン・ヴェンゲルは、カメルーンでプレーする若いリベリア人選手を追跡していて、毎週ジョージ・ウェアに関する興味深いレポートを受け取っていた。最終的にヴェンゲルは試合でのプレー視察のためにスタッフを送り込むと、そのスタッフがこんな電話をよこしてきた。「悪い知らせは、ウェアが腕を骨折したということ、良い知らせは、それでも彼はプレーを続けたことです」

ヴェンゲルはこれを気に入った。ウェアは飛行機でモナコにやってきて契約にサインしたが、依然としてみすぼらしい気分で座っていて、まだ1セントも貰ってないと不満をこぼした。ヴェンゲルは500フランスフラン(当時の50ポンド程度)を自分の財布から出し、ウェアに手渡した。プライベートでは話し上手なフランス人監督は、これをウェアの「契約ボーナス」だったとして冗談にしている。今ではリベリアの政治家であるウェアは、最近ヴェンゲルが彼に言っていたことを思い出していた。「精一杯努力すれば、ヨーロッパのベスト・プレーヤーになれる」

「そうだな」とウェアは思った。しかし、ヴェンゲルは正しかった。1995年に、ウェアはフットボーラー・オブ・ザ・イヤーに選出され、彼はそのトロフィーをメンターに贈った。

この話は、何がヴェンゲルを偉大な監督にしたのかを良く語っている。彼のグローバルな眼、質を見極める力、そしてそれを安価に手に入れる才覚だ。それでも、その偉大さが彼を取り残した一面もある。彼のもとでアーセナルは2005年以来トロフィーを勝ち取っていないし、先月はより裕福なクラブに2人の選手を奪われ、マンチェスター・ユナイテッドには2-8で敗れた。多くのアーセナル・ファンはヴェンゲルにウンザリしていて、彼の下降はあらゆる面での開拓者たちへの警告となっている。

1996年にヴェンゲルが日本からアーセナルにやってきた時、イギリスの孤島の人々のフットボールが誰も持っていないノウハウを持ち込んだ。当時のイギリス人監督たちは海外になど目を向けなかったが、ヴェンゲルはあらゆる場所のタレントにアンテナを立てた。日本で働いている間にも、ACミランのリザーブチームにいたシャイな青年の世話をしていてミラノでよくその姿を目撃されたが、そのパトリック・ヴィエラは後にアーセナルの偉大なキャプテンとなった。ヴェンゲルは、当時ユヴェントスのウィンガーとしてベンチ暮らしをしていたティエリ・アンリに、君は本当はストライカーだ、と告げた。アンリは、「監督、僕はゴールなんて決めてません」と反論したが、彼はアーセナル史上最多のゴールを挙げるストライカーとなった。ヴェンゲルは、誰も目を付けていなかったティーンエイジャーのニコラ・アネルカやセスク・ファブレガスを発掘した。そうしてヴェンゲルは海外から選手をスカウトする恩恵を見せ付けた。

彼は栄養学のパイオニアでもあった。彼はアーセナルの選手たちに日本的な魚介類や茹で野菜を摂らせた。選手たちはバスの中で「『Mars』をよこせ!」とチャントしたかもしれない。そして経済学の学位を持つことから、イングランドのフットボールに統計も持ち込んだ。彼は、どの選手が何秒ボールを保持していたか、といった数字をチェックしていた。ジルベルト・シルヴァが放出されたのは、この数値がわずかに上がったためだった。ヴェンゲルは、フットボールの究極の理想である速いペースでのパスゲームを熱望し、これをアーセナルで実現した。「Invincibles」として名高い、リーグを無敗優勝した2004年のチームだ。

ヴェンゲルは開拓者ではあったが、革命家ではなかった。例えば、彼はアーセナルのイングランド伝統の無骨な守備をそのまま長きに渡って維持した。「私は変化をゆっくり導入した」と彼も思い返している。自ら言っていたことだが、彼の一番の資質はより経験のある人に耳を傾けることだった。

彼の目指す頂上は、チャンピオンズリーグ制覇であるはずだ。これには一度手を掛けた。2006年のファイナルでアーセナルはバルセロナを1-0でリードしていて、アンリはゴールキーパーと1対1になった。しかし、これをゴールキーパーが防ぎ、バルセロナが勝った。1年後、ヴェンゲルはアテネでACミランがリバプールを下してトロフィーを手にするのを観ていた。しばらくしてミラネーゼたちがメダルを受け取るのを見つつ、両手をたたき始めながらこう言った。「分かっただろう。チャンピオンズリーグを勝つにはごくごく普通のチームで良いんだ」鋭い視線を持つ数学者としてでも、どんな一発勝負も結果の行方は気まぐれであることを分かっていた。彼は幸運に恵まれなかった。

やがて彼は素晴らしい開拓者に付き物の運命に苦しむことになった。周囲が彼のすることをコピーし始めたのだ。ライバルクラブたちは、ヴェンゲルの国際スカウティングや栄養学・統計学の導入を模倣していった。フットボールの世界では、最もサラリーの高いクラブが勝つ。アーセナルの給与総額はイングランドで5番目の高さだ。多くの監督たちと違って、ヴェンゲルは手元にある資金だけを使う。彼はマンチェスター・ユナイテッドよりも早くクリスティアーノ・ロナウドを見出したが、より高い移籍金で彼を獲ったのはユナイテッドの方だった。アーセナルは資金を非常に注意深く使うため、通常は個別の移籍案件ごとに利益を生んでいる。

オークランド・アスレチックスのGMで、野球の世界でのパイオニアであるビリー・ビーンは、「私がヴェンゲルのことを考えて思い起こすのは、ウォーレン・バフェットのことだ。ヴェンゲルは彼のクラブを何百年も維持することを考えて経営している」と語る。ヴェンゲルは、より大きなスタジアム、エミレーツへの移転を陰から引っ張った。これまで一度たりともビッグクラブでなかったアーセナルは、今では世界で5番目の収入を上げるクラブになっている。それでも、短期的にはスタジアム建設にかかった負債が支出を切り詰める結果になっている。

さらに悪いことに、ヴェンゲルは素晴らしい開拓者のもうひとつの運命に苦しんでいる。彼は、過度に自分自身を好むようになってしまった。もはや彼が賢明な批判に耳を貸すことはなくなってしまい、自らの欠点をそのまま放置しているのだ。フィジカルの軽視やゴールキーパーのポジションへの盲目、資金があるにもかかわらず見出すバーゲン買いへの喜び、そしてゴールよりも完璧なパスの追求だ。アーセナルでの支配力が強くなりすぎてしまった今、誰もそれを正そうとしているようには見えない。クラブのCEOであるイヴァン・ガジディスも認める。「我々は民主的なクラブではない」

今シーズンは、ヴェンゲルのロンドンでの最後のシーズンとなるかもしれない。アーセナルでプレーしたい、というエリート選手はほとんどいない。彼がトロフィーを勝ち取ることはもう無いだろうが、彼がイングランドのフットボールを変えたのは事実で、彼の栄枯盛衰はあらゆる分野の開拓者たちの教訓となるだろう。

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前回サイモン・クーパーが「ファイナンシャル・タイムス」に出したコラムでもデータやヴェンゲルの話は取り上げられていて、彼にとっても興味深い対象だったのだな、と感じた。ま、あのコラムは早々に日本の雑誌に翻訳が載って若干凹んだけど。

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