Friday, June 14, 2013

アンドレイ・アルシャヴィンの才能を浪費したのは本人か、それともヴェンゲルか

最後は不遇の時を過ごしてアーセナルでのキャリアを終えたアンドレイ・アルシャヴィン。次の移籍先は決まっていないが、移籍前のヨーロッパ選手権や、移籍後にアンフィールドで4ゴールを叩き込んだプレーが記憶に残っている方も多いのではないだろうか。

今回取り上げるのは、退団に際して、なぜアルシャヴィンがアーセナルで輝けなかったのかを考える、「インディペンデント」紙のコラム。 マンチェスター・シティ入りするヘスス・ナヴァスとの対比が興味深いですね。


++(以下、要訳)++

昨年の夏には、移籍締切日にブリストル・ローヴァーズのお茶汲み係とセルタ・デ・ヴィーゴの用務員しか補強してくれかなったかつての雇い主が、今年は6月の第1週には5,000万ポンドをかけて2人の銀河系を獲得した、という知らせを聞いたときのロベルト・マンチーニの顔を見てみたいと思うだろう。

たとえ、その新戦力たちのひとりの表情への注目ではないにしてもだ。我々の多くが日々の生活に血眼になる中で、マンチェスターにやってきたヘスス・ナヴァスの目は、どこまでもミステリーに包まれていた。

マンチェスターの冬が、若い頃には繰り返しのホームシックに苦しんだこのアンダルシア人の繊細なセラピーになり得るかはまだ分からない。それでも不屈の精神が、27歳のナヴァスがその素晴らしい才能をフルに発揮させるのを助けると願うこととしよう。そして、彼がヒースロー空港に降り立った時に、アンドレイ・アルシャヴィンに出くわさないことを。

アルシャヴィンは、2009年にクラブ記録の1,500万ポンドでアーセナル入りした時、現在のナヴァスと同じ年齢だった。先日、彼の契約は更新されない、とアーセナルから正式に発表があった。多くのアーセナル・ファンは、この発表を喜んだようだった。多くのファンは、アルシャヴィンを、ボールを奪い返すことはナイトクラブの用心棒をすり抜けるようなもの、と考える薄っぺらで怠惰な傭兵とみなしていた。しかし、彼との良い別れを望んでいたファンにしても、どこで運命がおかしくなってしまったのかだけでなく、上手く行く方法があったのかどうかを尋ねたいところだろう。

アルシャヴィンにとってのアーセナルでの時間は、心の痛む浪費の日々となった。逆説的ではあるが、彼の最も悲しい時間はちょうど1年前、ヨーロッパ選手権の開幕戦でやってきた。突如、ワールドクラスのプレーメーカーとして輝きを放ち、4年前の同じ大会でアーセン・ヴェンゲルを魅了したのと同じ姿を見せたのだ。

喜び、そして、ゼニト・サンクトペテルブルクをUEFAカップの頂点へと導き、バーゼルでオランダを大会から葬り去った才能と機知が戻ってきたのだ。アーセナル入りして間もなく、あのアンフィールドでのドローで4ゴール全てを決めたこの頬の赤い小さな妖精はどこに行っていたのだろうか?どのようなスキャンダラスともいえる職務放棄 -それが彼自身であれ、彼の監督であれ- があって、ヴェンゲルをベンチから眺め続ける流刑に処されていたのだろうか?


アルシャヴィンが契約にサインした日、ロンドンには雪が積もっていた。ロシアから同時に地中深くの永久凍土層がロンドンに入ってきていたことに気付いていた者はほとんどいなかっただろう。最後のシーズンとなった今季は、生きた屍も同然で、無情なほどに動きは遅く、11試合の限られた出番しかなかった。1月以降はプレミアリーグでは起用されていない。

目下のところ、彼はその才能の浪費に週給85,000ポンドを得ている。彼の幻滅はトレーニングの場でも態度の面でも疑いなく明白になっているし、そこに驚きもない。それは、アーセナル・ファンからの罵声と正に一致するものであり、プレミアリーグを悩ませる活躍に見合わぬ高給を得る外国人選手に向けられる罵声と同じだ。今にしてみれば、人差し指を唇に当てるゴール時のパフォーマンスは、32歳にして彼自身のキャリアが静められることを予期していたことになる。

しかし、仮に状況がアルシャヴィンにとって最悪なものとなっていたのだとすれば、それは彼の監督にとっても同じことだ。頑固な性格で知られるヴェンゲルも、批判に耳を貸し、実際に投資をすれば何が起きていたか示されれば、それには密かに感謝するだろう。最高の選手をキープするために必要な僅かな資金を惜しむ彼だが、実際彼が評価しない選手に多くの給与を支払っているのだ。

アルシャヴィンが脆い気性の持ち主だったとすれば、ヴェンゲル以外の監督が、アルシャヴィンにより良いプレーをさせることができなかったと信じるのは不可能だ。ピッチ内外の両面で。以前から彼が常にストライカーの機敏な引き立て役として輝いてきたのは確かだ。アンフィールドでの4ゴールは、全て中盤から切り込んでのものだった。それでも、セスク・ファブレガスが出て行った後でさえ、ヴェンゲルは彼をウィングに置くことにこだわった。

相手ディフェンスに向けられるアルシャヴィンの軽妙な動きとその才能は、観る者にはそれは贅沢なものだった。ボゼッション型のフットボールは、その言葉が内包する魅力よりも保守的なものだ。彼の守備面での欠陥は、それを表向き「代わりにこなした」ガエル・クリシーによってことさら強調されてしまった。覚えておいた方がいい - アルシャヴィンは、アーセナルに最も欠けていたプレーのパーソナリティをもたらすためにやってきて、ジェルヴィーニョ、アーロン・ラムジーの下の序列で去っていくのだ。

ナヴァスは典型的なウィングの選手だ。ヴェンゲルだったら、彼により自由を与えるだろうか?アルシャヴィンは、長らくその精神面での繊細さで知られてきた。両親は離婚し、父親は若くして亡くなった。ナヴァス同様、地元で育ち、7歳で地元のクラブのアカデミーに入った。それでも、そこではもう十分、となった時は規律の無さや怠惰を責められていた。

恐らく、イタリアやスペインであれば、彼のことをもっと賢明に甘やかすことができたのだろう - ピッチ内ではトップ下のトレクワリスタとして、ピッチ外でも女性との密会を含むファッションのセンスは、彼のより広い芸術性の一部として受け入れられたかもしれない。見たように、プレミアリーグは彼に胸を突き出して、彼を無駄で恥知らずな存在として吹き消してしまった。プレミアは、彼よりも劣ろうが、誇りと教義でより良い存在に見せてくれる選手を好むのだ。そう考えた時に、アルシャヴィンが先に関心と自信のどちらを失ったかなど、誰に想像できようか?そして、いずれであったにせよ、それを誰が責めることができるのだろうか?

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端的に言えば「プレミアには合わなかった」ということなのかもしれないけど、こう使われていれば、とか、このチームだったら、というような想像は絶えない感じ。リバプール戦は本当に凄いインパクトだったし、それを考えるとブーイングされてばっかりの最近は可哀想だったな、と。

同様の惜別記事は、「ガーディアン」紙にも。 皆、才能をフルには発揮できてなかったのでは、って部分には、思う所はあるんだろうな。

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